こんにちは、jinbocchiです。
このブログは、毎日毎日、少しずつでもいいから文章を綴ることで自分のアウトプットの力を伸ばしたい、という自分勝手なブログで、毎朝7時に更新されます。と言いつつ数日、朝には更新されてません、頑張ります。
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ついに今日で年度末ですね。なんだか一区切りというか、そういう時期ですよね。桜を見ると切ない気持ちになります。
ざわざわして、なんだか不安な気持ちもあるような気がする。新しいことが始まるからね。
けど、ざわざわするのも、ドキドキするのも、じつは同じこと。事実は胸の鼓動でしかないのよね。
それを受け入れてやればなんでもかんでも、ドキドキワクワクしちゃうかもね。
jinbocchiです。
さて、今日は『結局のところ、ぼくらはいつも無いものねだり。自分のできることをやるだけ。』というタイトルでお届けします。
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少し前に、ふとしたタイミングで言われたことがあります。
「じんぼさんはコミュ力、めっちゃ高いですよ」と。
その言葉は、同僚の女の子に言われました。どうやら子どもたちと雑談するワタシを見て、そう言ってくれたようです。
ぶっちゃけ、自分がコミュニケーション得意とは、ほんとに思ってなかったんですよね。
というのも、ワタシにとってはコミュニケーションが良く取れるというよりも、活動指針が『来た人が笑顔で帰ってくれること』だったりするわけです。
そればっかり考えていただけで、コミュニケーションが上手いなぁと思われているとは、全然思わなかったんす。
むしろ、ワタシからすると、コミュ力高いなぁ、すごいなぁって思う人たちって、実はまわりにたくさんいてね、自分はむしろコミュ力低いと思ったりもしたんすよ。
実際、先にあげた同僚の子もたくさん生徒とコミュニケーションとってるし、普通に「◯◯さんはコミュ力高いねぇ!」って心から言ったら、冒頭の返しをもらいました。
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コミュニケーションと一言でいっても、それはさまざまな角度から捉えられるわけで。
知らない人に話しかけるコミュニケーション。
部下に話しかけるコミュニケーション。
上司に話しかけるコミュニケーション。
子どもに話しかけるコミュニケーション。
大人に話しかけるコミュニケーション。
いろーんなパターンがあるわけさ。
さっきのは、多分お互いの『コミュニケーション能力』の定義付けが、少し違ったんだろうね。
だから『アナタは(〜の定義だと)コミュ力高い。(〜の定義だと)ワタシのコミュニケーションはまだまだだなぁ」と』と、お互いが別々の定義で、やってるわけです。
だから、お互いにそう言い合う様子は、特段変なことは無いんですよね。
けど、同時に面白いなぁと思ったこともある。
ハタから見て『よく出来ている』と思うことは、そのハタの人の世界で捉えているだけであり、本人にとってはコアなところに【出来ていない負い目】みたいなものが存在してるんだなぁと。
多分、ワタシが
「じんぼさんは◯◯で、すごいねぇ」と言われるとしても
「いや、◯◯なんて全然出来てないっす」と思います。
謙遜なしにね。
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そういう意味で、タイトルに戻ります。
『結局のところ、ぼくらはいつも無いものねだり。自分のできることをやるだけ。』
無いものねだりって、なんだか良くない言葉というか、そういう使われる方をする気がするんだけどね。
多分、普通のことでさ。みーんなそうなんだよね。
だって、無いんだもの、ねだるよね。
有るものはねだらない。
それを努力したり練習したり、自分を変えて身につけた!ってなってもさ、完全無欠のヒトになることなんて無いから。
やっぱりどこまでいっても、無いものねだりしてるはず。
それは悪いことでは無いんだけど、それよりも有るものを認識して、あげないとダメなんだよね。
『失った物ばかり数えるな
無いものは無い
確認せい
お前にまだ残っておるものは何じゃ』
漫画ワンピースで、完全に自信を失い、希望を失ったルフィーに、ジンベイが語った言葉です。
そう、自信がなくなったような頃にこそ、この『無いものねだり』は心の奥で発生しやすいんだよね。
ありのままの自分のことを受け入れ、自分のことを見つめ直す。
大丈夫なんだ、きっと。
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明日から新天地、新環境、いろんな変化に揉まれる日々が来るかと思う年度末。
そんなヒトに向けて贈る言葉。偉そうにね。
今日はこんなところで終わりにしようと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
明日が今日より少しでもよくなりますように。