自分の原体験をたどっていたら、一番大事にしたいって思うことにたどり着く。私の場合は・・・

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こんにちは、jinbocchiです。

これを読んでいる皆さん(というほどいらっしゃるか分かりませんが)は、どのようなお仕事をされてるのでしょう?

私は、塾という場所で、教育に携わらせていただいてます。

「なんで塾の先生をやってるの?」と聞かれたら、なんて答えるでしょうかね。


生活のため、という視点とは別にね。


「子どもが好き」とか「教えるのが好き」とか、そういう言葉で表現されやすいかもしれせんが、私の場合は何だろう…そういうのとは微妙に違うなぁ…と、昔から思ってました。

そういうのはゼロじゃないんだけど、コアな理由じゃあないんですよねー。何か違うんですよ。


けど、私の周りにいる先生方も同じで、「子どもが好き」とか「教えるのが好き」とかって理由じゃない可能性もある。そんな、様々な人の人生観を聞いてみたい。



私の場合は、原体験みたいのが明確にあります。

それは小学6年生の頃の話。



私は当時、地元の「スポーツ少年団」に所属していました。

「スポーツ少年団」って割とみなさんに伝わる共通言語なのかどうか、ちょっと分からないんですが、要は小学生の部活みたいなイメージかな。活動は地域中心のもので、学校とは違うんだけどさ。

で、小学生の高学年くらいから、スポーツ少年団の中の役割として「リーダー」と呼ばれる立場になるんです。その「リーダー」になるためには、スクーリングの合宿が行われます。

その名も、ジュニアリーダースクール。(ちなみに、もう一個上のシニアリーダースクールってのもあります。こちらは大学生ん時に行きました。)

このジュニアリーダースクールは、当時は毎年夏休み中に開催されてました。

場所は合宿所になるような施設。私の時は、国立赤城青年の家(https://akagi.niye.go.jp)でした。今は名前も変わってますね。

で、小学6年生の私も、地域の「スポーツ少年団」から参加させてもらいました。

現地では、群馬県内の複数の団体から数名ずつ、小学5年生から中学3年生くらいまでの参加者が集まります。で、バラバラになって班を組んで、2泊3日は班単位で生活します。

当時は多分、8人〜10人くらいの班だったかな?男女、学年バラバラに。そこに前述したシニアリーダーがついて団体行動をするんですね。

自己紹介しあって、ニックネームで呼び合って、一緒にご飯食べたりレクリエーションをしたり。

で、ここが私の原体験。


当時、ジュニアリーダースクールで組んだ班が、めっちゃくちゃ仲悪かったんす。ほんと。

多感な時期の男女が班を組むとね、うまくいかない時はめっぽうダメなんよ。いがみあい、嫌いあい、喧嘩に妬みに。

あーめんどくさい、って。

横目では、他の班は和気あいあいとしてて、うらやましいなぁと思いながら。

で、二泊三日が終わり帰路についたわけですが、なんか自然と泣けてきてね。

なんか残念な気持ちになっちゃったんだよね。

ジュニアリーダースクールは楽しみにはしてたし、他の班は楽しそうだし、受け入れてくれてたシニアリーダーたちの企画や創意工夫はエンタメとしてハマってた。

ほんと、自分の班の仲の悪さが全てをぶち壊してしまって、当時の私は「早く帰りたい」とか言ってたけど、それより仲良くなって楽しく過ごしたい、が本音だったんよ。

その大前提で大崩しになって、残念な、寂しいような、いやーな気持ちでね。

よく覚えてるんだよなぁ。




不思議なことに、その数年後に私自身がシニアリーダー側になって、子どもの受け入れをする立場になったんだけどさ。

さっきの原体験を、彼らにはさせたくない!ってのがめっちゃ強くなったんですよね。

三日間の共同生活を楽しんもらって、最後の別れの日は、惜しむらく別れてほしいじゃん。

だから、何はともあれ

『来た人が笑顔で帰ってくれること』

が、個人的には最大の理念になってるんです。

そのためになら、冗談も言うし、雑談もするし、寄り添いもするし、時には叱咤もする。けど、その先には、自然と笑って帰ってもらえるように。

全ては、そのための布石。

そんな気持ちで、日々過ごしてます。

その結果が、たまたま塾で働いている私になっただけ。それが、私のベースでしたね。

今までなんとなく忘れていましたけどね、振り返っていたら、めっちゃ思い出した。


そんな意識で日々を過ごしたら、少しずつ笑顔が増えていくような気がするよね。

塾とか教育とかって括りよりも、広く捉えたら、そういう意識の方がバックボーン。

エンタメ感が好きなのかもしれないですなぁ。

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