『継続は力なり』って言葉から、感じたこと、考えたこと。

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こんにちは、jinbocchiです。

最近は冬感が加速してますね。空気が冷たすぎてツライです。と同時に静電気が発生しやすくなってしまうので、ツライの2乗です。

静電気が発生しないプロダクトも出てますが、そんなの知ったことか!と言わんばかりの静電気パワーを蓄える私はなんなのか。。。

さて、雑談はこの辺までで。

今日のタイトルに書いた『継続は力なり』という言葉、誰しもが一度は聞いたことがあるでしょう。

この言葉が使われるのって、継続していられない人や挫折した人に向けての声かけだったり、「このまま続けてていいのかなぁ」って心境の人へはっぱをかける意味だったりしますよね。

『継続は力なり』と言うんだ。
だから
もっと頑張って続けなさい。

的な。

みなさん、どう?


最近感じるようになったことは、

『継続をすること自体』は、あまり価値がないなぁということです。個人的には、ですね。

少し前の時代はおそらく、『継続すること自体』が価値を持っていたと思います。

終身雇用・年功序列と言われていた社会において、継続をすることで出世する可能性が高かっただろうし、立場は変わらずとも給料が増えていくわけてすからね。

そういった継続は、大きなパワーとなってじっくり、じっくりと影響するものだった。

だから、何かがあっても継続していけることは、実際にメリットだったろうし、それがとても重要だったんですよね。

だって、終身雇用・年功序列の世界観では、継続をしないことはイバラの道になるわけですから。

しかも、私が生まれた1985年の時点で80%、その後も増えていき85%と、大多数の人がサラリーマンしてるわけです。
そりゃあ、継続の大切さは常識になるよね。

『継続は力なり』と言うんだ。
だから
もっと頑張って続けなさい。

というのは、そういう社会風潮だったのかもしれません。

けど、そういう世界が変わってきている中では、同じ意味合いとしての『継続は力なり』は使えません。これからの時代は特にね。

終身雇用・年功序列の崩壊は周知の通り。自分自身が定年退職するまでの時間より会社の寿命の長さが疑問視される。そして、何より人口も増やしてイケオセ的に、やればやっただけ還元されるような成長期自体から抜けて、今や日本は縮小していくわけです。

だから、ただ継続するだけだとメリットは無いし、むしろキツいとも思うんよ。

これからは『継続は力なり』の意味合いとして、もっとリアルな実力をつけていくための捉え方が大切かと。

それは時間的に継続することよりも、試行錯誤の回数による継続


トライアンドエラー数とでもいいましょうか。


例えば、料理のトライアンドエラー。

少しだけ料理をかじっても、そこで経験が継続しなければあまり生まれるものはない。

そして、何となく料理をすることは出来ても、毎回毎回、あんまり美味しくないものを作ることもある。

けど、試して結果を見るように継続していくことで、もっと甘みをつけるなら何を使うか?とか、味を絞めるためには醤油より案外塩がいい、とか。味付けの基本が見えてきたり、自分なりの体系化されますよね。

当然、たまには不味いものを作り上げるかもしれません。けど、そこにも理由があり、何が原因か検証できれば、学びになる。

そういうトライアンドエラーを継続していくことで、実力は積み重なるんすね。


で、みなさんも何かしらの趣味や特技、好きなものがあると思います。それらを興味を持って継続しているが故に、自然とみにつく力があるはずなんですよね。

そういう、自分の手で触ったり頭で考えたり、試しにやってみたことがたくさんあって、かつ続けていることが、本当に力になるはずなんす。それを馬鹿にできないなぁと。


今流行りのプログラミング的教育なんてのも、そういうところ。

つべこべ言わずに、とりあえずやってみなはれ、なのです。そして、上手くしくじれ、と。


これからの時代に向けて、どんな年代だってそう。

新しい環境が一気に来るからさ、大切にしていくべきは、継続して経験して、自分なりの気付きを得て、身につけること。

それが『継続は力なり』の芯になるところかと。

そんなことをおもいながら、このブログもやってますよ、と。

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