こんにちは、jinbocchiです。
幸せについて、考えてみたことはありますか?
…なんか、胡散臭いタイトルっぽい出だしですね。
いや、そんな大げさなこととかじゃ無いんですけどね。
普段、子どもと雑談する時とか、面談する時とか、様々な場面で意識していることのひとつなんです。
幸せの感じ方。
というのも、間違った尺度ではなくて、良い形で幸せを感じられるスタンスがあれば、それって普通の日々が充実しやすくなるって意味で。
そうなると学習効果さえも高くなると思うんすよね。
なので、割とそういう見解を大切にしています。
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はてさて。本題。
幸せの感じ方については、多くの人が
『何かのおかげで幸せになる』
ってのを中心に据えています。
例えば、
好きな服を買った、とか。
給料が上がった、とか。
彼氏が出来た、彼女が出来た、とか。
要は、外的要因からくる幸せ、ってことですね。
そういう幸せの要因ってのもあるだろうし、全然それはそれでありです。
が、同時に考えておくべきことがあります。
それは、外的要因からくる幸せだけになると、今後が不安になるってことですね。
というのも、外的要因というのはコントロール出来るものではありません。
好きな服が見つからなかったらどうしましょう。
給料が上がらないかもしれません。
彼氏、彼女、できないなぁ。
だからこそ、そこに力点を置いたような幸せの感じ方は、波を生んでしまう可能性が高いんですよね。
どちらかと言えば、外的要因からくる幸せは、ラッキー!と感じられるようなものでいいのかもしれません。
また、外的要因というものが幸せのベースになったときに、注意するところがもうひとつ。それは、キリがない望みになっていないか、を考えることです。
例えば、
営業成績や学校の試験成績なんかだと、一回達成した数値というのは慣れてしまって、次は高くしようとしがちです。
それ自体は成長として大事なんだけども、その数値に縛られすぎると、数字が下がったという分かりやすさが逆効果になります。
冷静に考えると、昨年と同等の売り上げがあったというのは、決して悪くないんですけどね。対比率にしてみたらあまり増えてないように見えちゃったりします。
テストの結果も、前回と同じ成績だった場合に、昔の自分からしたら高いレベルで維持していることもあるだろうけどね。前回からの数値だけ並べちゃうと、誤解しちゃいそう。
再三かいてますが、外的要因を意識すること自体は問題ない。何より大切なのは、そこだけにとらわれないことです。
一歩引いて、それらを眺める必要はあると思います。
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はてさて、じゃあ外的要因からではない幸せを考える必要がありますよね。
それは何かというと、幸せは何かと自分から見つけられる力が大切だということです。
自分にとっての幸せなものは何か。
さっきのテストの例でいえば、成績を点数や順位だけでとらえるのではなく、自分の中で振り返った時に「あ、あの頃より頑張れてるなぁ」とか「出来ていなかったものが解けるようになってたなぁ」とか、それらを見つける力です。
間違えないで欲しいのは、あくまで見つける力の方が大切だということですね。
幸せの対象になっていた中身が何かは関係なくて、そういうものを見つけられる力、感じ取れる力ということです。
もっと言うと、そうに感じることに、自信を持っていること。
他人がどう言うかに無関係で、『自分的には、これが幸せだなぁ』としっかり感じられることです。
それは、ささいなことでもいいし、大きなことでも良いし。何はともあれ、自分基準での幸せの定義をしっかり出来るかどうか、です。
そう考えたら、外的要因による幸せも、自分が意識して定義できているなら良いと思います。それでも、不確実性が強くなることによる不安定さは変わりませんが。
ご飯を毎日食べれることが幸せだなぁ、と全員に強制する意味ではなく、そういった幸せの定義をしっかりしてみるのは大切なことですよね。と言う話でした。
改めて見つめ直してみるといいかもしれません。