不安や心配が生まれるのは、目の前の事実を見ていないから。

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こんにちは、jinbocchiです。

皆さん、不安や心配を感じることってありますよね?

学習塾で子どもから受ける質問は、半分が教科の内容のこと、半分が不安や心配なこと。それくらい、彼らには不安や心配はつきものです。

受験のことだけならまだしも、学校生活のことや友だちとのこと、なんかあれもこれも不安や心配にさいなまれてて、それを相談してくれます。

相談してもらえるのは、嬉しいっちゃあ嬉しいんですけどね。

ただ、常々思うのは、不安や心配が多すぎません?ってこおと、いつまでも私たちは一緒にいられませんよ?ってことです。

なので、何はともあれ自力で解決する術をおさえていくのが大切なんです。

ということで、不安や心配との付き合い方を考えておきましょう。

★ ★ ★ ★ ★ ★

不安や心配というのは『感情ベース』です。

「やばい!」

「大変だ…」

「どうしよう、このままじゃ…」

こういうセリフの生まれる瞬間、不安や心配ってのは付きまといます。

どれもこれも、なんというか曖昧な感じしません?

何がやばいのか、何が大変なのか、何が(どうしよう…)なのか。

『感情ベース』のときは、往々にして具体性が欠けていたり、あっても具体度合いが不明瞭だったりします。

だからこそ、不安なのであり心配なのでありです。

例えば、こんなふうに生徒が言ってきました。

「このままじゃ次のテスト、ヤバい」

こういう言葉を発している時には、不安や心配が優先されていて、具体性が欠けています。

極論言ってしまえば、このままじゃヤバいなら、はよ勉強せい、ってことで終わりなんですけどね。

結局は、不安なことをが膨れあがっちゃって、結果として勉強に手が付いてない。

自分でさらに状況を悪化させてしまっているわけです。

さらに、具体性が欠けているだけじゃなくて、そこに追加して、個人の感想や解釈が前面に出てきます。

「このままじゃヤバい。次のテストの順位下がる」

そんな未来予想がアナタはできるのかい?と。神様じゃあるまいしー。

「このままじゃヤバい。親に怒られる」

いやいや、親はもっと色々心配しとるし、不安にも思っとるし、アナタの想像する親は確定で怒るのね?

こうやって、個人の感想や解釈というのは、その人の不安や心配に後押しされて、どんどん世界を狭めていきます。

そして、大抵の場合は行動を制限するようなモチベーション低下を生んだり、悩みすぎや考えすぎという環境を作ります。

『感情ベース』というのは、怖いものですね。

★ ★ ★ ★ ★ ★

『感情ベース』とは対極にあるのが『事実ベース』です。

目の前に起きていることを、事実として捉える。

そして、それに基づいた判断をし、行動する。

ただそれだけのことではあります、が、案外みんな苦手。

「このままじゃヤバい」と、さっきの子は言ってましたね。

このまま、とは何を指すのでしょうか。

今の現状が続くとしたら、という意味だと思います。

じゃあ今の現状は、どんな様子なのかを具体化してみましょう。

勉強時間が何時間とれているのか。

五教科のうち、その配分はどうなっているのか。

全範囲のページ数に対して、学習したのは何ページか。

大切にするべきは『事実ベース』で、数値として分かることが多いです。

それらを確認していくと、自然と結果も見えてきますよね。

例えば、テスト範囲が30ページ分で、自分の進められた範囲は15ページ分。

ということは、均等に出題されるならば半分しかやってないわけだから、期待できる得点は100点満点中の50点。

それを超えることはまぁ無いわけです。

じゃあ、その点数で、何がヤバいのか。

例えば、合格ラインが70点であるならば、確かに期待できる得点でも20点足らない。そうしたら不合格だ。

不合格だと、何がヤバいのか?

不合格だったら追試験があったり、放課後補習があったりする。大体は、それらを受けて終わり。代替の救済措置的に成績もらえたりするんだけども。

結果として時間が多くかかるけど、それはそれで成績もらえるなら、それは結果として良しでいいんじゃない?

それが嫌なら、何はともあれ、すぐ勉強しますよね。

そのために、具体的な学習計画を立てたり、先手を打って予習したり、色々考えますよね。

そういった『事実ベース』からの物事の想像を、多くの人がやらないんですよね。

それが“ヤバい”という一言で片付けられてしまうと、不安や心配を生み出して、何か踊らされてしまって、結果として何もしてないってなりがち。

『事実ベース』で物事を捉えるクセをつけて、自分の不安や心配に行動を制限されないようにね。

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