何事も、やってみなけりゃ分からない

ブログ
スポンサーリンク

こんにちは、jinbocchiです。最近は、まぶたの痙攣がおさまらず、日々ヤキモキしています。

睡眠不足のようでいて、そうでもない。スマホやパソコンのせいなのか、ストレスなのか。さりげなく、ストレスを無くしていけるように色々工夫をしている日々です。

さて、今日のタイトルは『やってみなけりゃ分からない』です。割とありふれたタイトルな気もしますがね、これって今だからこそ大切かな?と思うのです。

皆さんは、そういう意識で普段から行動しているでしょうか?

私が最近、このテーマで一番やっていることは、このブログのスマホ執筆です。今も、フリック入力でポチポチ(とも言わないのかな、音的に)をしてます。

長らく「スマホだけでブログ更新は完結するんじゃね?」と思ってはいたものの、なかなかめんどくさくて、重い腰を上げた感じなんですが。

というのも、キーボードの方が速いというか、圧倒的にズバーっと文字を打てる感覚があったので、試さずにきました。が、やはり忙しい中でパソコン開くよりは、スキマ時間でスマホいじれる方が、執筆が楽そうだと思い、意を決してやってます。

実際にやってみると、そのメリット・デメリットは大いにあって、それらを検証することができているので、とても良いですね。

例として挙げてみると

【メリット】

①慣れたら全然速いフリック

これは十分予測してはいたものの、改めて感じる「人とは慣れに強い生き物だなぁ」感。なんだかんだ最初は嫌な感覚はあれど、少し乗り切ったら大丈夫でした。キーボードがやっぱり速いって思うのは揺るがないけど、スマホだけでもなかなかの長文書ける。いや、入力できる。若干の煩わしさはあるけどね。

②どこでもスキマ時間で書ける

これも十分予測してはいたものの(パート2)、やっぱり便利だわ。特に、現代の日長生活で、スマホ自体を手放すことがないのと、ふとした時にスマホを開く習慣があったりするのとで、ホントに1日の隙間をうまーく使えてる。ブログの書き方によるけど、一段落くらいの長さはツイートと変わらないからね。

③予測変換からの正解語句指定が速い

これは意外だった。最近はPCの入力の際も、予測変換をしてくれるようになったけどね。スマホの方が強いと思う、これ。2文字、3文字で結構な長さの語句を予測してくれるし、ほぼ正確。あとキーボードで入力する際の予測変換の語句を選択するのに比べて、スマホだとタップするだけでいいのも便利。単純入力の速度を超えるとしたら、予測変換の有効活用だね。

【デメリット】
①キーボード操作に比べて場所移動?指定がやや不便

矢印キーボードは偉大ですね、やはり。iOSの機能として、「空白」キーの長押しによるフローティングがあれば楽になったけど、矢印キーボードで直接移動できる感じは、やはり便利ですわ。

②一気にやらないとテーマ忘れる

これは一長一短ですがね、PCで作成する時以上に、メリットの②の副作用みたいなので、途切れ途切れになる感じが強いんです。だから、気をぬくと全然覚えてない時とかあって、逆に時間かかる。


③結局、最後はパソコンでアップする

ここは最大のデメリットかなぁ。文章完成はできるんだけど、レイアウトが微妙にスマホ入力には限界がある。一番使いたいのはShiftとEnterの同時押しによる改行なんだけど。うまくいかん。打開策はあるっちゃあるんだけどね、、、なので、最後に結局はPCで編集することが増えます。

そんな感じ。

こうやって試行錯誤して、色んな方法を試したり、時にはアプリやツールを入れてみたりします。ちなみに、この文面はアプリ『メモ帳』を使っていて、文字数カウントが楽。

長らくブログ書いていたものの、スマホで書くことって滅多になかったから、このタイミングでスマホ入力にシフトするとは、思いもよらなかったです。

で、これによって選択肢の幅が広がったので、今後は使い分けながらさらに深めていけそうな気がしてます。

パソコン入力をする方が、細かい作業感は楽ですし、画像入れたり行間入れたり、そういう全体的なバランス感覚はパソコン画面の方が強いよね、やはり。


と、ツラツラと「スマホでブログ書き始めました」って話を綴りました。

こうやって実体験に基づいて得られる知見はとっても大切ですよね。知見とか、かっこよく書いてみたけど、ようは実体験に基づく感想ですよ。

なんで大切か?

それは、やらないことの正当化に縛られる自分からの解放が出来るからです。

例えば、さっき挙げた『ブログを書くのにパソコンでタイプする方が良いのか?スマホでもやれるのか?』って話だとね。

「スマホで文章を書くなんて、大変だよ」
「パソコンでタイプする方が、はやいよ」
「フリック入力?とか、よく分からないよ」

みたいに、やらないことを説明する言葉たちがありますよね。これは、実際にやってみたのならば分かる言い分です。けど、そうじゃない場合は、どうでしょう?

やらないことへの正当化を並べているだけじゃないでしょうかね。

これは「言い訳」と呼ばれるやつです。

やらないことを、さもそれっぽく並べて正当化する。

それです。

こと、身の回りの人を思い浮かべてみてください。

自身の様子でも構いません。その中に、言い訳がましい人っていますよね。そういう人って、あれやこれやと言い訳しては、“結局やらない”って感じがしません?

こういう人って割といると思うし、しかも、案外ね、自分自身にもそんな様子が見られることもある。

だれかれ、一定の割合であると思います。

こういうのって、クセになっちゃうんですよね。ついつい言い訳を並べてしまうことがあると、段々増えていく。言い訳を並べることに慣れてしまう。そうすることで、自分は【やらなくていい】っていう状態を作ることができるから。

なんでもかんでも、言い訳するなってことはありません。時には【やらない】という選択肢は、自分を守るため、誰かを守るため、必要不可欠だったりもします。

けど、そうじゃないことにも、我々は案外、言い訳を添えては【やらない】ことを作り出している気がします。


だから、今思い返すと、スマホでブログを書いてみることを試してこなかったことは、ただの「やらないことへの正当化を並べてやらなかっただけ」なんです。

命の危機を脱したり、誰かを傷つけることになったり、そんなことは全然無いのですよ。けど、スマホでブログを書いてみたら、いろんな発見があったし、自分自身がどう感じるのかを再確認出来た。

そんな【やる・やらない】の選択肢をね、日常で、小さなことから、些細なレベルで、意識して向き合う練習が必要だなぁと思います。その結果、やってもいいなぁと思えるなら、やっちゃいなよ。


すると色んなことが分かる。いろーんなことが。

これからの時代ね、

自分の中にある“何か”を見出し、言葉にして、外に出して、その反応を得て、また自分の中に入れ、新しい“何か”を産む。その繰り返しが、どれだけ出来たか。

それこそが、僕らの生きる上での大切な旗になるんだと思う。

だからこそ、何はともあれ、やってみて。

そこから分かることを大切にしていこう。

タイトルとURLをコピーしました