今日はスポーツ紙の記事から感じた話を。割と雑記ですが。

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こんにちは、jinbocchiです。

最近見た、Numberの記事が面白かったのでシェアします。

甲子園の真逆をやるべき? アメリカから見た日本スポーツの育成の問題点「10点差で勝ったら怒られる」(高木遊)
「日本ユーススポーツの最大の問題点は、無差別級の一発勝負トーナメント」と警鐘を鳴らすのは、アメリカで育成年代のアイスホッケーを長年指導する若林弘紀氏だ。

ということで、いつも以上に雑記ですが。

日本においては、若い世代からのスポーツ人口は、その多くが部活動によって支えれてきました。

そして、徐々に元スポーツ選手などが若手の指導に移っていったり、スポーツ振興に力を貸してくれるようになり、地域クラブなどの発展がありました。

しかし、長らく続く部活動の体制や暗黙のルールなどは変わることなく、変えられることもなく、今の時代も生き続けている様子です。

これには学校教育の現場からもさまざまな意見が飛び交っていますよね。

個人的には、現状の学校の先生の役割からするに、部活動は地域へと移行させるべきだと思います。

それと同時にスポーツを取り巻く環境整備や、取り組む人たちの積極的な関わりをみんなで大切にしていきたいですよね。

イチロー選手が高校の指導に、というニュースもありました。まだ学校の部活の領域の中ではあるけど、あーやって還元がもっと進めば、地域に根ざしていけると思う。

そうやって考えていくとさ、地域やレベルによってたくさん盛り上がっていくのはいいことだと思うんよね。記事にもあったように、リーグ戦を中心に、活発に活動できる環境が作りやすそう。

力が互角だから喧嘩になる

そんなのを聞いたことあるけど、力の差がありすぎるのは、たしかに意味がない気もしちゃうんですよね。

スポーツの楽しさや、競争をするスポーツの部分でもっても、やはりそうだよね。

力の差が大きいのは、もはや喧嘩になってない。イジメやらマウントやら、そういうのと変わらない。

それを実現するためには、場所や人財が必要だし、時間もかかると思うけどね。だからこそ、やりがいがあるというか、これからの時代に大切にしてほしいなぁと感じます。

先日の野球の話もそうだけど、やっぱり互角くらいが面白いよね。大差になるのはなかなかツライ。

NBAの試合なんかだと、試合が決しているような点差が開くと、両チームとも“抜いて”最後の時間を流すんですね。

これは、上記にあるようなイジメやらマウントやら、そんな感じになっちゃうから、相手を侮辱する行為とも言えるらしい。

だからこそ、相手に敬意を表する意味で“抜いて“消化自体するらしい。

案外、こういうのって何か違うんじゃない?って感覚もありました。プロなんだから最後までがむしゃらに!って思うきました。けど、冷静に考えたら、たしかに相手に失礼な行為に感じなくも無かったわけです。

割と日本のスポーツ漫画とかだと、相手が手を抜くのは失礼、みたいなのもあるけどね。

文化の違いなのかしら。これはこれで勉強になる。

まぁ、上の話をしていたレジェンド級の選手の対談を見ていたら、2人の意見は面白いほどに真逆で、両方の意見がありましたけどね。

かたや「相手に敬意を表するために最後まで全力ではやらない」って言ってけど、かたや「いや、プロとしてしっかり出し切るのは大切なことだ」って言ってた。

その2人の生い立ちや活躍は、それぞれ違うからこそ、価値観もどちらもある。それが当たり前に言い合える対等さが、何よりよかった気もする。

日本の場合は、どちらかにウェイトがかかるようなイメージもあるけど、スポーツを実際にしている当事者の意見として真っ当に受け取りながら考えていくといいんだねよね、きっと。

先日のダルビッシュのYouTubeの話もそうですが、もっとプレイヤー自身の声を発しながら、みんなで考えて高めていく。

そんなフェーズな気もします。

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