一度でも経験出来たツラさは、次のステップへの財産となる

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こんにちは、jinbocchiです。

このブログは、毎日毎日、少しずつでもいいから文章を綴ることで自分のアウトプットの力を伸ばしたい、という自分勝手なブログで、毎朝7時に更新されます。

とか言いながら長くやってきましたが、ここのところご無沙汰になりつつ、ついに数ヶ月のブランクを挟みました。

5月は私自身の誕生月であるのと、そんな昨年の誕生日にときに書いたブログがやたら読んでもらえて、印象深いことになったのとで、なんかさすがに、再開しないとなぁと思った次第です。

決して楽じゃ無いのに、やはりここに戻ってきているあたり、それなりに中毒になっているんだとは思ってます。

さて、久しぶりに書き綴りましょうか。

もし記事一覧をご覧になられる方は、最上段の筆記体みたいなロゴからお願いします。

また最下段には関連記事も並ぶので、よかったらどうぞ。

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ひっさしぶりに文章を作り始めたものの、なかなか決まらないのがタイトルなんですよ。

この段落のラストのところで、今日のタイトルをお伝えしていますが、私の文章の場合は、そこが一番最初に出来上がります。

文章を書き続けている時期は、日々を過ごしながら自然とネタを探していて、割とサクッとタイトル決まるんですけどね。これが決まらないってのは、やっぱりブランクを感じます。

何より、普段の生活の中で、文章にしたり言語化したりが出来ないような日々になっているわけです。

そう書くと誤解を生みそうですが、充実していないってんじゃなくて、アンテナが立てられていないって感じかも。

もっと目を凝らしたら、きっと発見は増えるだろうし、感動や感銘も増えるんだろうなぁと思います。

そういう日々を、また過ごそう。

さて、今日は『一度でも経験出来たツラさは、次のステップへの財産となる』いうタイトルでお届けします。

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以前の記事にも書きましたが、昨年の9月から独立をして個人事業主になりました。

なんだかんだと確定申告とか経験してきて、それなりに慣れてきた気もします。気がするだけで、まだ一年を通じてもいないのですがね。はは。

独立をして、立場や細かい部分は昔も変わるものの、仕事の大筋は昔とは変わらず、学習塾の教室運営兼経営な訳です。今のところ。

そのため、この約半年の生活は、昔やらせてもらっていた教室責任者を改めてやらせてもらっている感じです。経理やら何やらもやる必要が出ているだけで、他は経験したことのある仕事。

やりやすくもあり、かつてよりも自由度が効く部分があり、大変だけど楽しい、みたいになってました。

このブログを継続してずっときていたら、もしかしたらもう少し、発見や反省をしてきたのかもしれません。が、正直なところ、それどころじゃ無い感もあり、一生懸命に走り抜けてきた感覚。

それでも、きっと今後は少しずつ言語化作業も増えることでしょうし、ブログも続くことでしょうし、そちらはそちらで乞うご期待。

とりあえず今日は、この半年を振り返ってみて、塾の中でよく言っていたことを、取り上げてみたいと思います。

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それが、タイトルにある『一度でも経験出来たツラさは、次のステップへの財産となる』です。

なんか説明が長いというか、ダラダラ書いている自分がいる気がします。少し感覚が鈍っている…?

さておき。

タイトルのようなことは、割と当たり前と思うかもしれませんが、この当たり前と思われることを、いったいどれだけの人が“身をもって体験”しているだろうか、と。

例えば、私の場合。

高校のバスケ部が県内一二を争う高校だったので、それなりに走らされる練習がめっちゃツラかった経験があるので、あれに比べると、そこまで体を追い込まれることはない、とか。

大卒後に教員になってすぐ辞めて、自己否定のドン底みたいな気持ちで数年過ごしたツラい経験があるので、それ以降の人生で、そこまで堕ちる気持ちにはならなくなった、とか。

…書き始めると、エライことが出てきそうなので、ここで止めておきますが。

要は、そういった“ツラい”“キツい”っていう経験が、次の日からは財産となって、『あれほどツラい、キツいことはなかなか無い』という状態は、案外乗り越えられるようになるんですね。

これを、「ツラさの閾値(いきち)(しきいち)」なんて言ってました。

この「ツラさの閾値」って、みんな何かしらありますよね?

★★★★★★

んでね、受験勉強っていう世界線に於いても、これは大切なんですよね。

基本的には、より強くなり、より逞しくならないと、結局のところは競争なので、勝ち抜けないんですよ。

だからこそ、自分への負荷をかけながら、ちょっとずつ「ツラさの閾値」を更新していく必要があるのよね。

最初は30分の勉強時間と取れなかったのに、気がつけば1時間やっても大丈夫になり、やがて3時間、5時間と増えていき、結果的には12時間くらい費やすようになる。

勉強時間が全てとは言わないですが、受かる子たちはやっぱり時間がしっかり使われている気がします。

というのも、上の様に時間を伸ばしたら、集中して取り組む時間も自然と増えるわけですからね。

同じ5時間を費やしても、「ツラさの閾値」が低い場合はポツリポツリと、集中が切れることもあります。かたや、閾値が10時間くらいの子がやる5時間は、あっという間に終わります。

★★★★★★

今日、ある子と話をしていました。

その子は、部活が結構ハードで中々勉強時間が取れずに、成績を落としているパターンでした。

体力的にも厳しい中で、なんとか頑張って通ってくれていたのですが、私は再三のように「量をこなす」という単純なアドバイスをし続けました。

というのも、圧倒的な量不足で、勉強時間の閾値が低いままだったからなんですね。そのため、理解や思考に至るまでの時間が続かない。

学力とか、理解力とか、そういうのは結果として積み上がるんですけど、この閾値は意識して更新させていかないといけないなぁと思ったのです。

そんな状況でしたが、コロナ禍による部活動の制限があったために年明けからの3学期は、勉強に時間を費やせました。その結果、テストの成績もアップ。

そして、春休みを挟んで再び部活が再開。

活発な日々が戻ります。加えて、春眠暁を覚えず。花粉やら暖かさやら相まって、極端に勉強時間が減りました。

小テストの結果が落ちましたが、改めて「量をこなせてなかった」というアドバイスをしました。

アドバイス自体は以前と同じ。だけど、大きく違うのは感じ方でした。

当初は閾値が低くて、「量をこなすって言ってもキツい…」と反射的に感じてました。量をこなしてないのに。

けど、一度経験したためにツラさの閾値は更新されたため!「量をこなしたろう!」という前向きな意識を持てました。加えて、達成したことがあったので、なんとか出来そうだと思ってもらえました。

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こうやって、個々の様子と向き合いながら、閾値を更新していくのが大切なんですよね。

めっちゃ大変なんですけど、個別に見ている醍醐味でもあります。

この積み重ねの先に、きっと何か明るい未来が待っている気がしてならないなぁと。

もっと具体的な力や利益として、手元に残るものもきっとあります。

私自身のこのブログも、なんだかんだと2000〜3000文字の更新を毎日やってきていた経験はあります。途中止まってはいるものの、それでも数ヶ月はずっと書いてました。

そのために、校舎のホームページにのっける公式ブログも、更新を続けていられるんですよね。

あっちは月曜・水曜・金曜・土曜に更新すると決めています。文字数もレイアウト的に最適なのは400字程度。

そう思うと、大したことはないじゃないですか。

何が将来使える力になるのか、今は想像出来ないかもしれませんが、きっといつか、何かのためになります。

だからこそ、ツラさは経験した方がいいですよね。

★★★★★★

今日はこんなところで終わりにしようと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

明日が今日より少しでもよくなりますように。

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