何でも伝えられるように努力はするけど、それでもやっぱり世間知らず。

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こんにちは、jinbocchiです。

このブログは、毎日毎日、少しずつでもいいから文章を綴ることで自分のアウトプットの力を伸ばしたい、という自分勝手なブログで、毎朝7時に更新されます。

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塾の先生っていう仕事について、気がつけば12年はゆうに経過していました。1/5還暦です。

ちなみに、還暦って年齢のことというより、十干(10)と十二支(12)の合わさる干支が60種類あることから、それが一周してくる長さのことです。暦が還る、ということです。最小公倍数ってことですね。

皆さん、知ってました?

最近、何かのきっかけで気になってWikipediaで調べました。知らないまま大人になったました。

寿命が長くなった現代では、60歳はそこそこ当たり前になってきているかもしれませんが、かつてのヒトにとってはめっちゃくちゃ長生きだった時代だったことでしょう。

そう思うと、還暦というのは自分の生まれた干支に還ってくるってことで、なんか感慨深いですよね。

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『学校の先生は社会を知らないし世間知らずだ』

こんなフレーズ聞いたことあります?

最近は、Twitterでさえチラホラ出てくるフレーズです。世の中の人にも浸透してしまっているような、一般論的になっていることかもしれません。

学校の先生は、大学卒業した後に、その多くが社会人経験を一般の仕事などに就かずに、学校現場に入るため、そう言った経歴を揶揄するようなフレーズですね。

教職をとっている大学生や、子どもが学校に通っている保護者など、色んな世代が聞いたことあるでしょう。

ワタシは、これを初めて聞いたのは中学生の頃でした。当時の国語の担当の先生が、これを言っていたんです。

どんな文脈だったかは定かじゃないんですが、多分『将来学校の先生になりたい』とか『先生ってすごいっすね!』とかいう発言に対してのコメントだったかと。つまり、先生ご本人から、『学校の先生は社会を知らないし世間知らずだ』という発言があったんですよね。

ただ、当時のワタシにとって、この先生含めた学年団は“良い先生達”でした。個人的にはいい学校生活を送れたと思ってますし、面白いし楽しいし、学びもあったと。だから社会のことも、色々教えてくれている印象あったんすよね。

そういう意味で、先の先生の発言は、イマイチ理解出来ていなかったんす。

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ちなみに『学校の先生は社会を知らないし世間知らずだ』というのは、事実としてそういう進路を辿る方も多いし、一般社会の中では暗黙の了解みたいになっていることは、ずれていることもあったかと思います。

けど、だからと言って、学校の先生以外の方々は『世間知らず』じゃないのでしょうか?皆さんは社会を知っているのでしょうか?と言えば、そんなことは全然ないはずです。

この世の中には、我々の知らない世界なんてのはあっちこっちにあって、普通に考えて、誰もが『社会を知らないし世間知らず』のはず。

当然、年の功というか、長年の経験から色んなことを知っている人もいると思います。けど、そんなのは結局、その人の生きてきた狭い範囲の中でしかなくて、その中での常識でしかなくて。そんなもんだと思います。

たしかに、学校の先生っていう仕事は、子どもの若い頃に大きく関わるし、将来の人格形成に影響が多い気がしますから、そうなると他の様々なお仕事以上に、子どものたまに『世間を知っていて、社会を知っていてほしい』んでしょう。

そういった期待や、逆にいうと失望みたいなものが、いつしか揶揄する言葉を生み、学校へ攻撃するようなフレーズとして世の中に蔓延ってしまった、という感じです。

けど、冷静になって考えてみれば良いです。

誰もが本当の意味で世間を知ることなんて無理ですし、社会を知ることなんて無理です。世の中の広さをどれだけ誤解しているんですか?と。

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先に挙げた、国語の先生が言ったことを思い出します。

あれは、先生としていろんなことを知って子どもに伝えようとしている先生だからこそ、の発言なんじゃないかと。

ワタシ自身、塾の先生となっても、最初の頃は学生みたいなもので社会なんて知らないことだらけ。それでも保護者対応をしないといけないわけです。スタート時、クソみたいな緊張をしたのをよく覚えてます。クソほど汗かいた。

けど、若い自分が何もかも分かるわけじゃないのは当たり前なんすよね。だけど、少しでも保護者の方々や生徒達にしっかりと情報を提示したいし、力になりたい。そう思って、少しでも多くの世界を知れるように勉強し続けているわけです。今もなお。

そうすると、数年経ったあたりから「先生、何でも知ってるねー!」とか「先生、よくそんなことまでご存知ですね!」とか言ってもらえるようになります。知識だけじゃなく、そういった言葉が生まれる共感の関係性の中ではより明確に、進路指導や学習相談を出来るようになるんです。

けど、そうやってやればやるほど、世の中の知らないことだらけってことが分かるし、何でも知っているなんてのは不可能なのだと、余計に自覚します。

そんな自分になればなるほど、国語の先生が言った真意が見えてきます。あれは自分への戒めみたいな意味なんだと。子ども達が自力で進むでいくために、後押しはできるけど、何でも知ってるわけじゃないから。

だからこそ、何はともあれ子どもの決断や思いを大切にして、その都度の経験や知見を子どもが受け取れるようにし、そのための声かけになるように頑張っていくしかない。

そういう意味では、ワタシもまた大いなる世間知らずなんです。

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