挨拶をしようと励行するなら、その意味もよく考えてみたらいい。やっぱ自分から挨拶しないとね。

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こんにちは、jinbocchiです。

このブログは、毎日毎日、少しずつでもいいから文章を綴ることで自分のアウトプットの力を伸ばしたい、という自分勝手なブログで、毎朝7時に更新されます。

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皆さん、挨拶をしっかりしてますか?

学校や塾なんかだと、やはり当たり前に言われることでもあります。しっかり挨拶しよう!ってね。学校とかだと、朝の校門前にぞろりと並んで、挨拶運動なんてのもしてますよね。

そんな挨拶当たり前の文化において、その言葉の由来というか意味というか、あまり聞き馴染みのないことかもしれません。

この挨拶という言葉は、もともとが仏教の世界観の中にあるもので、禅語と呼ばれるものの中にありました。

今から3年前に、祖父のお葬式にて禅語に触れる機会がありました。そこで、挨拶の解説があることでワタシも改めて知った次第です。

そのため、本来の意味とは違うところなどあるかもしれないですが、ご容赦くだされ。

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「挨拶」は禅語でも「アイサツ」と読みます。しかし意味は我々のイメージするようなものとは少し違いました。禅語で言う「挨拶」は、単に初めて会った人に対する御機嫌伺いの言葉ではありません。

挨拶の挨の字は、相手の心を開く、ということ。

そして、拶とは、その中に自分の心を投げ入れること。

これだけだとピンとこないんですけども、この挨拶のやりとりが行われる場面が分かると様子がわかると思います。

禅宗では、師匠側が弟子の心境の深浅を試み、かれの器量を知るときの言葉でとされているんですね。

つまり、上にいる人が相手の心を開いて、その中にグッと入り込んでいくことで相手の心の様子を知り、また、相手の心の反応を見て、状態をはかるということ。

ワタシはこれから取って、挨拶は『推し量る』こと、としております。

挨拶をしたときの相手の反応はどんな感じになるだろうか?

元気に挨拶を返してきただろうか?

笑顔が見られただろうか?

真顔のままだっただろうか?

声の大きさはどうだったか?

些細な挨拶ですが、そこには色んな情報が現れると思ってます。だからこそ、しっかりしないといけない。

そして、先生という立場で日々いる場合は、やはりその意味からも『挨拶は自分からするもの』としておくべきだと考えています。

なんとなく、立場が下の人、弱い人の方が進んで挨拶をする、みたいな文化みたいのありますよね。それはそれで、あっちこっちで目につきますし、世の中のさまざまな会社や団体では、当たり前のことかもしれません。

ただ、個人的には上に書いたような意味からも、相手を推し量ろうとする側が、しっかり挨拶をしようとすべきだと思います。

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なんとなく、ツラツラ書いてきたんだけども。

立場や肩書きとか、ひとまず置いておいて。

そうやって声をかけにいけるようのヒトでいたいなぁと思いました。

ふと振り返るとね、ワタシの想像する『良い上司』みたいな人たちは、そういう挨拶をいっぱい自分からしていたなぁって思います。

同時に、みんなも挨拶しにいくような、ね。

そんな自分を目指さないと、大切な何かを見失いそうですよね。自戒。

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