こんにちは、jinbocchiです。
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普通、という言葉は当たり前に使う言葉過ぎて、あまり気にしないでいるのですが、この意味は改めて考えると結構なパワーをもつものです。
Wikipediaによれば
「出る杭は打たれる」「能有る鷹は爪を隠す」ということわざや、宗教史における異端への残害に象徴されるように、社会の中で特別な者や奇異な者は時に袋叩きに遭い、普通であることや平庸であることが求められる。しかし、単に平庸であることは、「ありきたり」「没個性」「長所を持たない」「存在感が小さい」といった厭わしい意味で捉えられることがある。
Wikipediaより
とあります。
袋叩きに遭い〜というあたりがインパクトありますよね。たしかに、社会の勉強でやったような気もしますが、我々は他の人たちと比べて特異なものに、そういった制裁をしてきたものです。
これは、ある意味では当たり前でもあります。
古い時代は生存本能として、強いものに仕えたり、その周囲にいるグループに入ったりしました。生きていけるからこそ、そういう集団にいることが最適解でしたし、そのためにルールや規律を守ったりする。その中では、ある程度の普通が求められていたでしょう。
軍隊なんかは、今もそうだと思います。いざというときの、命を左右する瞬間に、モタモタしてられませんし。そういう意味で、軍隊における規律・ルールによる普通の感覚というのは、当たり前です。
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じゃあ現代社会における、さまざまな集団ではどうでしょうか?
多くの場合、その集団には規律やルールが独自にありますよね。それらのうち、暗黙の了解になっているようなものや、当たり前だよ?っていうテンションで、言われるものとかありませんか?
「〜では、これをやるのが普通だよ」
「若手は〜を進んでやるのが、普通でしょ」
「こんなものは、できるのが当たり前でしょ」
そういうものは、多種多様にあるんだと思います。ただ、多くは先に挙げたような『生きるために必要な』普通でもなんでもないですよね。
たしかに、一昔前の終身雇用時代は、そういう側面もあったかもしれません。会社を定年まで勤め上げることの美徳も、リアルな意義がありましたし、そういう意味で会社や企業の中で異端になるのは、命取りとも言えたかもしれません。
それもいつの時代だよ、って感じですが。
良いものなら良いんですが、そうじゃない場合は悪しき慣習なんて言われたりします。いや、言われるならまだしも、言われもしないことは、余計にタチが悪い。
働き手の流動性が高まり、年齢・性別・役割・仕事観などが多種多様な現代になるってきたら、そんな普通の蔓延る世界は、衰退をしてしまうかもしれません。だって、色んな価値観の人たちが集まった時に、理解されない訳ですからね。
よく『若手が辞めていく』みたいな言葉も聞きますが、(昔もそうだったのかも分かりませんが)今後は、もっと加速していくと思います。価値観のズレ、ルール・慣習のズレは明らかに大きくなるし、昔と違って仕事を辞めることは命に関わることでもありません。
冷静に考えて、20才と60才とが同じ職場にいるとなると、そりゃあ共通ルールなんて無理ですよね。
そんな中で共存していけるためには、『あなたの普通は、あの人の普通とは限らない』ということを一層意識した方がいいです。
それは世代間に関わらず、同世代においても起こりうるようになります。みんなの生活は、この情報化社会においては均一な部分は大分なくなってしまったからです。
普通をおしつけるようなら・おしつけられるようなら。関係性は続きません。Twitterのブロックのような感覚は、オンラインからオフラインへ移行してきます。逆に、共通の価値観が担保されるようなオンラインサロンは加速するでしょう。
そうやって、世界の価値観をアップデートしていかないといけませんよね。