子どもの読解力が低下しているとしたら…この後、あなたはどんなことを頭に思いますか?

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こんにちは、jinbocchiです。

このブログは、毎日毎日、少しずつでもいいから文章を綴ることで自分のアウトプットの力を伸ばしたい、という自分勝手なブログで、毎朝7時に更新されます。

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『子どもの読解力が低下している』

こんな言い回しで、世の中の学びに対する危機感を煽るようなフレーズが散見されます。

まぁ、塾業界にいると、どちらかと言えば煽る側になることもあって、心苦しいのですが…とは言え、こういったフレーズは数年にわたって言われているわけで、それなりに皆さんが知っていることでもあります。

で、授業に臨むワタシの経験からも、そういう危機感はあったっちゃあ、あったわけです。

問題を解けるかどうか、よりも前段階で、意味がわからない。というか、何をどうしているのか、想像が出来ていなくて、彼らは表面だけをさらって暗記しようとしてしまう。

そうなってくると、授業のやりとりが中身のない空っぽな箱のような空虚な会話になっていて、危機感というか、虚しさがあったんすよね。

んで、たしかに読解力と呼ばれる力をつけなければ、とワタシ自身もなったわけです。

(読解力という言葉の定義が曖昧なのは嫌なのですが、ここでは『内容をしっかり読み取れる力』という程度にしておいてください)

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んで、打開策というか解決策は?

読解力をつけるならば、読解する機会を増やせば良いわけです。

単純明快ですね!

たったこれだけのことなんですが、なんだか危機感を煽られた感じで、ひたすらに読解力をつけるための『書籍』とか『講座』とかのサムシングが世の中に溢れていきます。

けど、昔の人は(文脈的には)今よりもっと読解力があったわけですが、そんなサムシングなんてなくてもよかったわけじゃないですか。

昔やっていたことや当たり前にあったことが無くなったんであれば、それらをやろう!は分かるんすけどね。それらは過去にはわざわざ存在しなかった。と。

比較的、こういう説明をする時に一緒にされるのは『読書量が減ったから』ってやつ。まぁ、相関は多少あるとは思いますし、確かに読書量があるなら、ある程度の読解力は期待できると思うんですけども。

そうなると、そんなに昔の人は本読んでたんですかね?

今となってはワタシもよく読むようになったし、本屋にも足運びますけど。年配の方々が本屋にたくさんいて、若者はいない、なんて光景には出会いません。

読解の機会が減ったという事実は、たしかに読書量が減ったという側面があるとは思います。けど、あたかも『若者は昔みたいに読書しなくなったー』と、とやかく言われるのもなんだかな、と。

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そうなると『子どもの読解力が低下している』というのは、ちょっと意味が変わってくると思うのですよ。

学力低下と結び付けたいがために言われている気もしなくはないんすけど、そんなんじゃなくて。

どちらかと言えば『子どもの読解についやす時間のリソースが減っている』が正しいと思います。

そもそも読書、もっというと活字を読む目的は大きく分けて2つあって、①情報を得るために読むのと、②娯楽のために読むのと、あると思います。ざっくり過ぎるほど、ざっくりですけど。

んで、①の場合、新聞やら書籍やら雑誌やらでまとまってた情報収集は、YouTubeや Instagramのような形による情報伝達が出てきて、わざわざ文脈を追わなくともよくなってきた。

大人向けのレベルで考えても、NewsPicksとかでさえ動画コンテンツ増えてますしね。

②の娯楽もそう。これもYouTubeは分かりやすい例だし、タブレット、スマホでアニメとか映画とかのコンテンツへのアクセスがめっちゃ楽になってきたからね。

昔は食い入るようにNBAの雑誌を読んでいたけど、今となっては動画で見れちゃうのよ。すごいよねぇ。

つまり、過去の活字文化以外の、言うなれば競合が増えすぎたせいで『子どもの読解についやす時間のリソースが減っている』があると思うのです。

まぁ、これは大人も含めて、みんなそうなんだよね。

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同時に、『子どもの読解についやす時間のリソースが減っている』ことで、他にできることが増えていたり、新しいサムシングを楽しむ力がついていたりもする。

無下に煽るというよりも、そういった新しい力も取り込みながら、掛け合わせて強くなれるはずなんよね。

読解力だって大切にしつつも、そこに変な不安は付与せず、より楽しみながら力をつけていけたらいいな、と。

そんなこんなで、活字をバリバリに使おうとする、ワタシなのでした。

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