いつになっても相談してもらえる、話しかけてもらえる。そんな人でいたいなぁ。

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こんにちは、jinbocchiです。

かつて行ったことがあるラーメン屋の話。

あ、ちなみにアイキャッチに使った画像はフリー素材で、ここで書いているラーメン屋の写真ではありません。あしからず。

群馬県は前橋市にある、昔ながらな感じ、いや、むしろ普通に親戚んちに遊びに行ったかのようなお座敷と、いくつかのテーブル席の並ぶラーメン屋があった。

そこは、中華そば、チャーシュー麺、チャーハン、カレーといった定番メニューが並ぶ地元の名店。決して派手さもなく、暖簾も出てないようなお店です。外から見ると、やってんの?ってホント思う。


けど、食べログでも3.45の高評価。素敵なお店なんですね。



んでね、このお店の料理をするのがおばあちゃんなんだけど、結構なお年だと思うんですが、とてもチャーミングなお方。

お店のシステム?が面白くて、お客さんが自分で食べたいものをテーブルのメモに書いて持っていき、料理ができたら、お客さんが自身で運ぶ、食べたら自身で下げる。お会計もセルフ。おばあちゃんは料理専門なのです。

で、このシステムは多分昔からそうだったとはおもいません。ワタシが学生の頃、15年くらい前ですが、その頃はそれなりに配膳とかもおばあちゃんがしてたんだと思うんだよね、記憶の中では。


ただ、ちょうどその頃だと思うけど、お客さんが手伝うというか、「イイよ、おばあちゃん、俺がお皿は持ってくよー」みたいな会話のもとでみんなが助け合いの精神みたいになっていったんだよね。たしか。そんな思い出があります。

こういう様子を見た経験というかインパクトが強くてね、みんなから愛されるというか、助けてもらえるというか、そういう関係や間柄って、素敵だなぁと思ったのです。


こういう、周りのみんながたすけてくれるような、年配の方が割とイメージできると思うけど。

それとは真逆の年配の方もイメージできるっちゃあできる。一時期にはニュースとかでも取り上げられていましたしね。高慢な方というか、すぐキレる方というか。


よく言われるのは、若い頃に仕事に一生懸命で社内等で肩書きや一定の評価を得ていたんだけど、定年退職した後になって、それらが急に外れちゃうためのギャップとか。それらが重なり合って、自分の外の人たちへ強く出てしまう(らしい)。


自分たちも、いつかは同じことになる可能性もあるんだけどさ。


さっき挙げたおばあちゃんや、周りの人達を見ているとね、自分の周りの人たちから気さくに話しかけてもらえたり、助けてもらえたりするような関係性がないとなぁと。

それって、弱さを露呈することみたいなものだと思うんよね。なんつーか。


自分の出来ないこと、自分には難しいこと。それを外に出していける勇気というか。


日常生活で、そういうのを出していけることって割と難しい。会社にいると、弱さを露呈することってのはなんか命取りな気持ちになっちゃったり、それを取り繕ったり隠したりするために、自分を強く見せてしまったり。

その部分があと何十年と積み重なると、、、どうなるのかしら、と。


だから、自分の弱いところ、自分に出来ないこと、それを外に出していけたり、周りから話しかけてもらえるような努力?心がけ?を意識しないとなぁ。

そんなことを思ったりします。

これからの時代、一人の強さをつけつつ、独りの弱さをさらけ出しつつ。そうじゃないと人口減少の世で、ハードモードな歩みになりそうでね。



けど、うまくはいかないよね。どうやっていても、ついつい自分を強く見せたくなるし、自分の弱さを認めたくなくなるし。反射的にさ。



俺にゃ無理だわーってさらりと出せる

そんな達観を、してみたいものよ。

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