こんにちは、jinbocchiです。
このブログは、毎日毎日、少しずつでもいいから文章を綴ることで自分のアウトプットの力を伸ばしたい、という自分勝手なブログで、毎朝7時に更新されます。
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継続は力なり。
何度も何度も聞いたセリフ。
そして、何度も挫折してきた…
そんなワタシ。
いや、みんなそうだよね???
耳にタコが出来るほどに、聞いてきた言葉。やはり勉強や成績アップなんてのとは、親和性の高いフレーズなんですよね。多分、塾の掲示物を眺めれば、ほとんどの教室に掲げられていることでしょう。
けどね、同時に考えて欲しいのは、それだけあっちこっちで言われている場合は、根本的に難しいことであり、出来ない人が多いからに他なりません。
継続をすることは、多くの人にとって課題なんだと思います。
皆さんは、どうでしょうか?
勉強、運動、読書、ブログ…
やろうと思ったことは継続出来ているでしょうか?
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この継続をすることは、簡単なような難しいような課題ですが、どうにかして継続の仕方を知りたい。そんな気持ちで色々と考えを張り巡らせました。
というのも、何につけても『継続が出来る』というのは地味ではあるけど確実な実力アップにつながる、ある種のワザですからね。
じゃあ、勉強、運動、読書、ブログとさっき書いたんですが、それらを始める様子を思い浮かべてみましょう。そうすると…
「次の試験で合格するぞ!」とか
「一ヶ月後にシェイプアップ出来てるように!」とか
そうやって理想というか、目標というか、そんな感じのものを立てますよね。全ての動機になるようなものです。ただ、それでもうまく継続出来ていない人もたくさんいますよね。
そうなると、「意志が弱い」とか「目標が曖昧だ」とか言われたりもします。なんというか、ここがめっちゃ疑問なのです。意志の強さとか、目標の曖昧さとか、測れるものじゃないのですよね。だから、そこを指摘するのって、あまり生産性が無いというか、後出しジャンケンな感覚なんす。
言われた方も、改善できなくない?それじゃ。
つまり、継続の可否を左右するのに、意志とか理想像とか、実はあんまり関係ないんじゃなかろうか、と。
要は、やる気の問題とは違うんじゃ???
ということ。
そこにきて、ヒトの認知心理の面白い話を聞きました。
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ヒトは、行動をすると、それに伴って理性を制御するらしい。
なんのこっちゃって感じですが、ざっくり言うとですね、実際になんらかの行動があることで、理由や解釈を後付けしちゃうらしいんす。
例えば、先の例で言うならば
①「次の試験に合格するぞ!」となった。
②しかし勉強が出来なかった事実が生まれる。
③今日は疲れてたんだな、という解釈が生まれる
というふうに、③を都合よく付け足しちゃうんだそうな。事実としてやれていないことが先にあって、そこに言い訳と言われるような解釈を脳がする、と。
しかし、しかーし。
我々は②と③が反転しているように感じているようです。つまり、疲れてて勉強出来なかったよ、と。
ぶっちゃけると、普通に生きていたら、こんな場面なんてあっちこっちにあると思うんですよ。その瞬間を思い返すと、どうやら我々は、いつもなんやかんやと言い訳つけることに長けているみたいです。こわ。
どうやらヒトの脳というのは、論理的思考というか理性というようなものを掲げているようでいて、実のところ、生理的欲求(食欲や睡眠欲、またそれに伴う疲れなど)には大いに敵わないようです。
そして、それらが行動を止めてしまった場合に、また上手いこと言い訳をでっち上げるように出来ているらしい。
うはー。
まぁけど、そりゃあそうだよね。理性で行動を律することができるなら、世に肥満はいなく、喫煙する人や飲み過ぎる人もいなく、みんな日々勉強に邁進しているだろうに。
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ここから『継続』のために分かることは、以下の3つのこと。
1)気持ちに起因せず、とりあえず行動する
2)それを少しだけ続けていく
3)続けないと気持ち悪い感覚になる
まず、気持ちやモチベーションに関係なく、そんな幻想からも脱して、何はともあれ行動する。あまり深く考えてはいけない。ハードルも下げていい。とりあえず行動を始めること。
それを数日は頑張ってやってみる。ただ、上の繰り返しなので、構えたり気合を入れたりするわけじゃない。数日間は機械的に、ただただ、やるのである。
それが少し続いてきたら、きっと『いつもと同じだからやらんと…なんか…気持ち悪い』って瞬間がくるだろう。これは、前述した③の感覚と同じで、後付けの解釈が言い訳っぽく生まれている。やらなかったことへの後付け解釈ではなく、やったことへの後付け解釈を生むようにする。
こうすれば完璧やも。
考えることなく、モチベーションとか言う前に、いいからはよやれ、ということですね。