承認欲求をコントロールできる人の方が承認されるって話

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こんにちは、jinbocchiです。

皆さん、承認欲求って言葉を知ってます?

SNSが流行ってきて、インフルエンサーって言葉が定着して。

その中でよく言われるようになりましたよね。

自己発信をうまくやれないというか、やりすぎているような人に向けて
揶揄するかのように使われる機会も増えました。

とは言いつつも、この承認欲求というのは誰にでもあるものです。

SNSを駆使する若者にも、そんなことを知らないおっさんにも。

承認欲求とは、「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という欲求のことです。

と、Wikipediaには載っていました。

全然話が違うのですが、Wikipediaを全力で活用しようと思う今日この頃です。

冷静に考えたら、マジでなんでも載ってますよね。

さて、雑談はさておき。

承認欲求とは先に書いた通りですが、心理学なんかでもマズローの欲求ピラミッドとかで出てきますし、割とメジャーなものです。

そんな承認欲求とは、割とやっかいで、割と当たり前にあって、身近なのものです。

承認欲求とは、基本的には他人からの視線を気にしている状況で生まれる。

簡単に言ってしまえば「認められたい」という気持ちのこと。

そんなものは、だれしもどこかで経験しているし、今もそう、って人も沢山いますよね。

例えば、仕事においては「頼みを聞いちゃう、安請負しちゃう」ような感じ。

周りの人の頼みごとに、ことあるごとにいい返事をしちゃうと

仕事はたくさんふられるし、その構図は「頼られている」とか「気にかけてもらえている」ってのが分かりやすくなります。

そうすることで、「ほめてもらえる」「認めてもらえる」という結果を生む流れは増えますよね。

けど、問題は、『そこが主になっている』ってこと。

結果としては、自分の実力や時間の使い方などがしっかり読めておらず、キャパオーバーになったり仕事の結果が伴わなかったりする。

そうなると本末転倒。評価されなくなる。

こうなっているとき、彼らは『承認してもらえる場面』を早合点している。

「頼みを聞いちゃう、安請負しちゃう」 が承認されたように感じるからだ。

ヤル気はある、けど、実力は無い。という状態を生みやすい。

周りの人からの承認・評価は、基本的に結果が全てだ。

こと企業や会社といった組織では、そこが外れることは無い。

つまり、承認欲求が強い人は結果ではない部分で承認されると誤解している。

そのため、本当に評価の対象になるような部分は、感覚的におざなりになっちゃう。

こういう場合の本当のめんどくさい部分は、彼らが『他人から承認を受けられる場面』にウェイトを置いてしまっていて、そこが物事の判断基準になっていること。

例えば、上司に叱られる人がいたとしよう。

「上司は、おれのことを分かってくれていない。ほめてくれてもいいじゃないか。なのになんでいつも叱るんだ。」と。

こうなると、【上司が褒める】という事実がまず発生しないとモチベーションに直結しない。

承認欲求が強い(=他社から承認されたい)ために、すべてを他人発生にゆだねてしまう。

同様に、上司に叱られた人で、承認欲求の部分をコントロールしているとしよう。

すると「上司の評価視点に対して足りなかったな。見直してみて、考え直してみよう。分からなければ聞いてみるか」と。

承認のウェイトは結果・評価のところなので、自身のモチベーションや行動の尺度を自分自身で獲得しており、謙虚に取り組んでいるように見られる。

結果として、こういう人の方が評価をされやすく、承認欲求も満たされていく。

当然、いろんな会社や組織、チームがある。

あなたの置かれている環境がどのようなものかは、考慮にいれていない。

めちゃくちゃ無能な上司がいるのかもしれないし

本当に誰も褒めてくれないような世界に住んでいるかもしれない。

そこは上司側の視点であって、ここではあまり言及していない。

ただし、意識して自分の行動や承認欲求に対する姿勢を考えてみる価値はあるだろう。

承認欲求が強い人の方が、結果として無断パワーを使うし、疲れる。

そして現代では孤立しがちになる。

承認欲求からの解放は、あなたをより高次に高めてくれるかもしれない。

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