こんにちは、jinbocchiです。
このブログは、毎日毎日、少しずつでもいいから文章を綴ることで自分のアウトプットの力を伸ばしたい、という自分勝手なブログで、毎朝7時に更新されます。と言いつつ数日、朝には更新されてません、頑張ります。
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なんだか色々と見えていて、気づいちゃうようなヒトに憧れたりもしてます。いきなりですけども。
イメージはバスケの監督なんですがね。スラムダンクとかだと、山王の堂本監督で、「桜木につけ」と言った時のようなイメージが憧れです。
場をよく見て、的確に、必要なことをシンプルに。まぁ、めっちゃ難しいし、そのためにはたくさんたくさん、観察しないといけないんすけどね。
言葉が多すぎるのは自己満かなぁと思う、jinbocchiです。さすがにだからと言って、この文面を短くはしませんが。
さて、今日は『「みんなそうだよ」と言う慰めや励ましは、時にナイフのようなものとも思ふ。』というタイトルでお届けします。
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前にもどこかに書いたか忘れましたが、ワタシは仕事を2ヶ月で辞めたことがあります。
大学卒業後に、高校の先生になったんですけどね。そこで2ヶ月で辞めたのです。むしろ休みもいれての2ヶ月なので、冷静に数えると1ヶ月かしら。
そう。今頃ですね。春の今頃。
辞めた当時は辛すぎて辛すぎて、って感じでしたが。
そのあと少し経ってから、やっぱり人生の中で大きないたでというか、傷というか、何か十字架を背負ったかのように日々を生きていました。
もやもやして、晴れることのない霧の中にいる感じ。
あの頃を思い出すと、いろんなことが、それなりに『まぁなんとかなるんじゃないか』と楽観的にもなります。逆説的ですが、仕事が続かなかった経験は、仕事における、大きなサムシングを教えてくれました。
そのひとつが、タイトルのこと。
『「みんなそうだよ」と言う慰めや励ましは、時にナイフのようなものとも思ふ。』です。
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大前提として、ね。
さっき書いた仕事を辞めた話については、そもそも論としての自分の努力不足や至らぬ若さ、甘い考えなどなどあったことは重々承知してます。
そして、当時の職場の周りの方々を悪く言うつもりもないし、ご迷惑をおかけしてしまったとしか思ってません。
ここで書くのは、その上で感じた個人的な話なのでご容赦をば。
ワタシが学校の先生を辞めようと思い始めた頃、さすがにまだまだ4月の半ばでしたからね、いろんなヒトに止められました。
まぁ、そりゃそうだよね。止めると思うのよ。
何せまだ先生の面白さなんて分かるはずもないであろう早いタイミングでさ、今決めるのは早計だと。
たしかに。
倍率10倍くらいはある採用試験でしたし、そもそも先生になるために入った大学だし、給与面でもハタから見たら恵まれてたし。
もろもろもろ。
そんな話をたくさんされたワタシは、悩みました…とはならず。悩むことなく、辞めたい気持ちの方が大きくなりました。はは。
まぁ、こうやって辞める話になるときって、結局は結論が出てるからひっくり返らないってのは定説なんですけどね。
複雑な思考に苛まれている自分自身の
頭の中の考えや感じているコトに
向き合うことができず。
誰に聞いたところでも「みんな大変だよ」みたいに言われてしまうことが多々あって。
どんどん行き止まりになっていく道の先を見ているようでした。
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ワタシ自身は弱い人間です。
誇れることもなければ、逞しくもいられない。
先生を辞めたことは長らく鎖のように絡みついてました。
重く、固く、冷たいような。
やがて鎖は見えなくなり。
あれから仕事を続けてくる中で、あの頃よりは人間らしくなったと思います。
けど、あの頃の自分に戻ってアドバイスをするならば、「みんなも大変だよ」とか言わずに、やっぱり辞めるように伝えると思います。
それが、なんやかんやで振り返っても、大切な人生観になった部分なんだよね。「みんなもそうだよ。だから頑張れよ」みたいな声かけは出来ない。みんなとか、関係ないからね。
自分の心の中に、すでに何かしらの答えや考えは形が作られているはず。
それを見つめ直さずには、一般郎的なアドバイスは出来ないよねぇ。
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辞めたことがある。
それは、最初こそ、ヒトには言いたくないものでしたけど。
それがあるから出来るようになったこともある。
前にも書いたけど、高校生の子とのやりとりが思い出深いものになったのは、このおかげです。
一般論とか、他人がどうとか。置いといて。
目の前のアナタに向けて。エールをば。
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今日はこんなところで終わりにしようと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
明日が今日より少しでもよくなりますように。