こんにちは、jinbocchiです。
富士山に登ったこと、ありますか?
ワタシは大学卒業後に、友人に誘われて登ってきました。
富士山の山頂までいったんですよね。
ふと思い出したけど、結構いい経験だったと思います。
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当時、ワタシは大学卒業して、学校教員になりました。
そして、2カ月後に辞めて、プーになっていました。
この辺の話をあまり書いていないのですが、そういえばそうでした。
んである程度どーんと沈んでいたころを抜け始めたのは夏休みのころ。
そこで、冒頭の友人の誘いが来ました。
ちょうど、大学時代に教育実習に一緒にいった友人もいて、気にかけてくれたんだと思います。
今振り返ると、ほんと嬉しいですね。涙がでます。
みんなは仕事を始めてましたが、ワタシはそこそこに暇なので
二つ返事で行くって決めたと思うんですよね。あまり覚えてないけど。
スマホも持っていない時代、そんなに積極的に調べもせず。
防寒はとりあえず冬場に来ていたウインドブレーカー。
登山靴なんて持っていないけど、底が厚くてしっかりした靴はバスケットボールやってたんでたくさん持っていて。。。バッシュでいいかと。
それなりにタオルと着替えをもち、アンダーウェアは家にあった長袖のシャツ。
んー今思うと、そんな気軽にそろえるもんでしょうかね?
ちょっと無謀じゃん?
ま、そんな何となくな観光気分も含めて、ワクワクしつつも気軽に。
鬱屈していた当時のワタシにとっては、何はともあれ楽しみだったんですよね。
前にも後にも、あんなアクティブな遊びを意気揚々といったのは無いです。
あの頃の写真を見返そうと思ってGoogle Photoを覗いたら
まさかの写真なーし。
当時はデジカメで撮ってたんだけど、、、残念過ぎるな。ないのか。
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いざ登ってみて、全然楽ではなかったけども。
山登りにのみ没頭することって、やっぱり瞑想とかと似てるんですよね。
つらかった、もう嫌だ、って感覚はあまりなかったんですよ。
適度に休憩する山小屋での記念撮影のたびに、楽しそうだったというのは覚えてる。
特に、あの頃のワタシのような感覚にとって、めっちゃ良かった。
頭であれやこれやと考えるのって、カラダに余裕がないといけなくて
適度に負荷がかかり続けて、呼吸を整えて(じゃないと高山病になるんで)
ただただ上を向いて、前を向いて、歩くだけ。
時には声をかけあって。
これを書きながら、またやりたくなってきましたね。
富士山まで行けなくとも、ハイキング程度でもいいからね。
富士登山も途中までは登りやすくて、ハイキングっぽかったんです。
それでも、大分たかくなってくると自然が変わってくるんですよね。
草木は一気に無くなって砂利、石、岩とかばかりになる。
登りにくくなるし、上を見上げるとただただ山肌。
サム!って思って霧に覆われたと思ったら、それは雲で。
そんなところを歩いてるんか、と思うとびっくりする。
頭ではわかっていたことが、目に見えて、肌で感じられて。
変な言い方だけど、生きている実感ってのがあったんだよね。
てっぺんにたどり着いて、真夏なのに真冬みたいな寒さだったのは覚えてる。
ご来光は、どっちかっていうと初日の出みたいでね。
山小屋でふるまわれる豚汁とか甘酒とかもあいまって。
下山は、案外あっという間に終わっちゃうんですよね。
登りに比べて、ざーっと降りれるような道があった気がする。
変な感覚だったけど、登りほどの過酷な山感覚はなかったです。
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気がついたら13年前。。。
そんな前なんだね。嘘みたい。
けど、いっぱい覚えているのは事実だ。
人生の中で、あそこまで覚えていることも珍しい。
あまり語ることもなかったし、自分でもすっかり過去のことでしたが
人生を変えた経験のひとつだったんだと思いますよ。
2021年は、まだまだコロナの影響が大きい世界かもしれませんが
自然の中で自分を見つめなおすことを久しぶりにしてみたいものです。