社会人になったら『他者からどう見られているか?』がめちゃくちゃ大切って話。

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こんにちは、jinbocchiです。

成人式が開催されるかどうかってとこでしたが、群馬県ではクラファンで花火まであがったらしいっすね。

こうやってクラファンで、世の中の様々な人たちが互いに支援をし合うっていうのは、素晴らしいことで。

この企画を知らなかったから残念。もっと情報仕入れるアンテナ立てておかないと。




はてさて、なんだか偉そうなタイトル付けてしまったわけですが。

成人式があり、少しずつ少しずつ、みんなも大人になるのでしょう。

せっかくなので書いておこうかと思います。


それは『他者からどう見られているか?』が、めっちゃ大切ってこと。


なんか当たり前のような感じかもしれません。そりゃあ普通のことでしょう?と。けど、これが案外難しいというか、大人になって仕事していても、いまだに意識していかなきゃいけない、というか。

この『他者からどう見られているか?』は、外見とか身だしなみとか、そういうのもあるんすけど、ここで言いたいのは間違いどちらかといえば『他者からどうに評価されているのか?』ってことに近い。


こういう話になると
「いや、周りがどうに思おうと、私自身は〜と思ってる」
という感じに返ってきそうですよね。他人の評価なんぞより!と!


けど、あえて厳しく表現するならば、そういう「私自身は〜と思ってる」は、重要ではない。てか必要ない。そう書いちゃうと。なんか言い過ぎっぽい感じもあるけどね。


結局のところ、社会の集団の一員として動く以上は、自分以外の人、取り分けお客さんや上司といった人たちが最重要になるフェーズはたくさんある。


何はともあれ、仕事をするために職場にいるならば、そこの上司の存在次第で色んなことが決まるし、決まらないし、全てにおいて左右されるから。そして、お客さんの重要さは言うに及ばない。


これは、どんな職場においても同じことであり、基礎基本みたいなものです。


で、そういった中で「私自身は〜思ってる」というのは。あまり意味がないことになる。

いや、意味はあるか。ただ、優先度合いがめっぽう低くなるのだよね。

というのも、上司がらあなたにする評価や、お客さんがあなたにする評価は、あなたが生きている生活圏の世界観の中で、何より正しいとされるだろうから。

そうでないと、顧客のニーズに応えられない動きをしてしまったり、上司の期待に応えられない動きをしてしまったりする。

ここで、ついついクレーマーみたいな人を想像したり、クソみたいなパワハラ上司を想像したりするかもしれない。けど、そんなレベルの人たちではない、もっと普通の、もっと自然な、当たり前の上司やお客さんの期待の話だ。それらはもっと些細で、普段の仕事の中にサラッと出てくるものばかり。


例えば。

お客さんに向けてのお辞儀をする際に「もっと頭を下げた方がいい」と上司から言われたとしよう。

それに対して「いや、ちゃんと下げてますよ?」とか思っても意味がない。あなたの様子を見た上司は、少なくともあなたよりたくさん経験があり、お客さんに失礼な思いをさせたりしたこともあるかもしれない。周りの目の評価の方が正しい可能性は高い。

お客さんから「あのアルバイトの学生さんは、ずいぶんチャラチャラしてますね」と言われたとしよう。

それに対して「このくらいのファッションは、普通ですよ。別にチャラチャラしてません」とか思っても、そうじゃない。少なくともお客さんがあっての商売として、そうに思われることには意味がある。あなたがどう思っているのか、はあまり関係ない。


これらは、決して上司やお客さんが悪いとか、あなたが悪いとか、そういうレベルの話ではない。

あなたがいる社会の一部において、そういう“当たり前”がある職場や環境に身を置いているってだけであって、別に上に書いたような常識が通らない世界も、もっとたくさんある。

だから、もし自分の意見を大切にするならば、あなたあった『他者からの評価が高まる場所』を探せばいい。そうじゃなければ、その周りからの評価を大切にしていけばいい。

少なくとも大切なのは、他者からの評価が基本的には大切であり、そこを間違えず履き違えず、成果を出しにいくのがプロなのである。

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