限界を迎え始める資本主義社会の中で、これから大切にしていきたいことは、どんなことだろう。

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こんにちは、jinbocchiです。

先日、大学入試共通テストの初回が終わりましたね。

最近は、問題の良し悪しというか、意図したものになっていたのかどうか、と議論が出たりしてます。

何はともあれ、よく練られた問題であるので有効活用していけるといいなぁと思います。

そんなテストから遡ること10年。

2010年のセンター試験の現代文に出ていた文章のことを思い返していました。

第一問に出ていた評論。岩井克人「資本主義と『人間』」です。

内容的に簡単にまとめてしまうと、資本主義におけるヒトの数がいろんな産業を後押ししてきたのだけど、今となっては、それを支えるヒトの数が減ってきているって感じ。

実際のところ今もだいぶ話題としては上がりますが、やはりヒトの数による産業の下支えや、国としての拡大路線というのは大きな出来事でした。

それが、今となってはガラガラと崩れていく、と。

こういうのは、どこか不安を感じるような話として長らく聞いてきましたが、ぶっちゃけ構造ごと変わろうとしているので、悩んでもしゃーないんすよね。残業革命とかの頃も、そういう時代だったでしょう。

そんな中で、ふと思うのは資本主義的な価値観の崩壊…と書くとイメージが怖くなるけど、資本主義的な価値観の再構築って感覚かな。

資本を集めて、業績を上げて、拡大して、配当が出て還元される。

そのために、事業を大きくしたり、売り上げや利益などの数値は上がるようにしたり、それが当たり前。

それを達成するためには、多くの社員と呼ばれるヒトが必要であり、その規模が膨らめば生産力が上がるから、社員は膨れないといけないし、そのための投資や経費も上がる。

そんな膨らんでいくのが当たり前の価値観だったのかなぁ。

一昔前は、会社の発展と似ているところで、自社ビルを建てるとか、本社ビルのデカさとかありましたが、最近はビルの売却もよく見ますしね。

そういった大企業は吸収・合併でさらに大きくなってきたものの、戦うフィールドが萎んでいく日本に限ったら、そもそも無理ゲーってなる。

だからこそ、可能な範囲で、可能な計算をして、持続可能を目指すっては、今後はもっとメジャーなんじゃないか、と。

少し前には、佰食屋っていうお店が流行ってましたが、あの辺りから価値観の大きな変化を感じさせる事例が増えたかなぁと思います。

いや、もともとあったんだろうけど、顕著になったかな。

範囲を決めて、その中で頑張ることは、従来の資本主義的な価値観で大きくしていくのとは根本的に違うんよね。

よく知らないけど、さらに昔の時代、サラリーマンがいないような時代は、そういうふうに仕事してたんじゃないかなー。そして、そういう尺度で、個々が生きていたような気がします。

これからの20年くらいは、どんな人生になるかしら。

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