行間という余白がへった時代を生きるワタシ

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こんにちは、jinbocchiです。

このブログは、毎日毎日、少しずつでもいいから文章を綴ることで自分のアウトプットの力を伸ばしたい、という自分勝手なブログで、毎朝7時に更新されます。

久しぶりの更新と合わせてインスタで告知的に投稿しました。数年前に投稿したきり、SNS活用さえもしなくなっていたので画面の構成とか機能に、浦島太郎状態。

そんな気持ちでいたら、ブログ更新するのに開いたらWord Pressの画面も、また見慣れないものに。

普段から見ていたら気にしないけど、ほんの数ヶ月、数年で様変わりがすごいね。

このブログも続けていきながら、そういう驚きを持たれないように馴染むといいなぁ。

もし記事一覧をご覧になられる方は、最上段の筆記体みたいなロゴからお願いします。

また最下段には関連記事も並ぶので、よかったらどうぞ。

★★★★★★

最近、フルーツジッパーというアイドルグループの曲をよく聴くようになりました。

子どもの幼稚園での出し物?で、楽曲を使うことになったところで初めて知ったのですがね。

もともとアイドルグループとか興味もたずに生きてきたと思うのに、ここにきてやたらハマったわけです。

幼稚園への道すがら、送迎時にいつもかかっているようになったら、さすがに覚えました。

けど、あとからドキュメンタリーとか見たけど、みなさん苦節あり。いろんな過去のストーリーから今に至る様子を知り、普通に尊敬というか、すごい。

せっかくだから、そのへん込みで、知らない人は聴いてみて(と何を今更)。

さて、今日は『行間という余白がへった時代を生きるワタシ』のいうタイトルでお届けします。

★★★★★★

スマホやネットが出てきて、情報から切り離されない時代になったと、よく言われております。

いつ何時でもネットにつながっている。ご飯を食べてても、お風呂に入ってても、布団に入ってても。

人昔前なんかだと『ご飯を食べる時くらい携帯はやめなさい』とか言ってた気もしますが、ふと周りを見渡せば、そんなことも減ってきて。

むしろ飲食店でもスマホでオーダーとかしちゃいますしね。

もはや、転換期当時を生きた我々が、それらが無かった頃を想像することも難しいくらいに。

自分より若い世代には、あの頃は文字通り想像を絶する世の中だったと思うんよね。

今の我々は情報を浴びすぎるくらい浴びていて、望んでいなくてもたくさん入ってくる。

その影響で、価値観というか、モノを見る感覚が、昔に比べて、めちゃくちゃ変わったよね。

そのひとつに感じるのは、余白の感覚。

★★★★★★

先日、塾で保護者の方と懇談があったんです。

そこでね、ふとした雑談をしてて。

たまたま、音楽の話題になったんですよ。

お子さんが、保護者の方の影響を受けて、昔の楽曲を聴くと。

90年代の楽曲かな。

で、そのお子さんが言うに「昔の曲の方が好きかも。歌詞が少なくて、考える余地がある」的なことを言ったと。

そこで、ほっほーと思ったわけです。

今回のブログ記事のきっかけでもあります。

要は、余白ですね。

全てを語らないのに、言葉足らずなのに。

その余白をいかす形で

聴いてる側が想像を張り巡らす。

確かに、当時はそれが普通だし。

そういうものだったし。

あの頃は

余白とか思ったこともなかったけどね。

その時の会話で出てきたのは

JUDY AND MARYの『そばかす』の話。

「思い出はいつも綺麗だけど

それだけじゃお腹が空くわ」

なかなかキレのいいフレーズに

若い子の悩みが入ってる気がする。

どう?

この段落も、余白意識してかいてます。

★★★★★★

かたや、現代的な感覚ですとね、情報がありすぎもありすぎるせいで、体も慣れたモノで。

余白があると落ち着かないことも、逆に感じないくらいふつうのことで。

そういう“読み手”とか“聞き手”とかに委ねるようなイメージよりも、情報がたくさんあって、解像度が高い、答えに近い何かを伝えることになる感じ。

さっきのお子さんの話のように、現代の歌の歌詞の多さに、そんなのを感じたわけです。

まぁ、その分、パンチラインみたいなフレーズは増えた気もするけども。

最初にあげたフルーツジッパーも、結構ワード数多いんですよね。同じく幼稚園要素で聞き始めた、ミセスグリーンアップルとかも。YOASOBIのアイドルとかさ、流行りに流行ったプリンバンバンボン。年末からハマってる、はいよろこんで。とかとか。

…なんか、あえてひらがなで書いたけど、おっさん感が増すね。

彼らの曲も大好きで聴きますが、改めて調べてみましたらね。自分の世代的にわかるか微妙なんだけど、歌詞の長さ?が、SOUL’d OUTと同じくらいだったということに驚きました。

ア アラララァ ア アァ。

まぁ、何もかも歌詞の長さとか量で測るモノじゃ無いですがね。一個の発見レベルで、ふむふむと思いました。

余白のない情報量の感覚に、結構慣れている現代の私もいるし、それはそれで普通になってました。

FRUITS ZIPPERの新曲とか、気にしちゃってるもんね。ますかるのゆあ ふるふるる。

どちらにも、どちらの良さがあるね。結局今の歌もたくさん聴いちゃうくらい好きなんよね。

けど、こういうのって時代によって変化・進化していくからね。昔よりも今は言葉がつまってる感じがするけど、普通で、それが10年後も、20年後も、同じく起こりそう。

どんな時代でも起こりうる、普遍、もとい、不変の事実なのかもよ。

その頃、いったいどうなってるのでしょうか。

★★★★★★

そんな世の中の情報密度の中で生きてると、そこについていくように日々生きるだけで、結構疲れてるのかもと最近思います。

それは、ただの日常のはずなのに。

よくある生活のリズムのはずなのに。

日に日に目に見えないレベルの負荷をかけ続けているのなもしれません。

日曜日、家にいて、暇な時間が生まれた時に、休みを取ろうと思うことができずにいました。

何かやらないと、何かやらないと。

心のどこかで、脳内のどこかで。

だから何か作業をする。

けどそううまくはいかないこともある。手持ち無沙汰というか、都合よくやることがあるわけでもなく。

そんな悩みというか、変な葛藤をしながら数時間、何もできずにいる。

そんなことがありました。寝れない夜とかも、よくなります。

そんな時は何か音楽を聴いて気を紛らわせるようにしよう、と。

…—…

★★★★★★

今日はこんなところで終わりにしようと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

明日が今日より少しでもよくなりますように。

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