こんにちは、jinbocchiです。
このブログは、毎日毎日、少しずつでもいいから文章を綴ることで自分のアウトプットの力を伸ばしたい、という自分勝手なブログで、毎朝7時に更新されます。と言いつつ数日、朝には更新されてません、頑張ります。
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春の嵐とも言える大荒れの天気になってますね。暖かくなる春の陽気や桜が咲いたり菜の花が咲いたりするイメージが強いですけど、春は荒れるもの。
過去を振り返っても曇天で極寒な花見もあったし、大嵐の中の春休みの散策もあったし。よくよく考えたら、案外そっちの方が思い出が多いのかも。
それでも、そんな思い出を仕舞い込んで、わくわくするような楽しさ、明るい景色、そして門出を思い起こさせるのは、春の魔法でしょうか。jinbocchiです。
さて、今日は『出来ないからダメなんじゃなくて、出来ないからチャンスなんす。』というタイトルでお届けします。
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「出来ない」という言葉の後ろには、どんな言葉が続きますか?
〜が出来ないなんて、オレはダメだなぁ。
〜が出来ないなんて、使えないやつだなぁ。
そうやって否定的なフレーズが後ろにくっつくことが多いでしょうかね。
はて、なんでそういうフレーズが続くのでしょうか?
冷静に考えてみて、これってめっちゃ変な話なんすよね。
何かが出来るか、出来ないか。物事にはこの2つのパターンしか存在していないし、事象としてはいつ何時も、ただそれだけなんです。
なのに、だ。
みんなして、「出来ない」からの自責の念のような自己表現を、どこかしら助長しようとする気持ちでいる。
出来るか・出来ないか。それと、あなたというヒトがどんなヒトなのか、は無関係であるのだ。
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とかく、そんな話が小さい頃から多くされやすいもんだから、小学生とかでも学校の授業で少しでもつまづいたところから、自己否定を始めちゃう子だって珍しくない。
昔見ていた小学6年の子は、問題を間違えたりミスをするたびに「仕方ないよ、おれは馬鹿だから」みたいなことを、嫌味でもないし、構って欲しいわけでもない、ナチュラルにさらりと言っていたことがある。
この子は自己肯定感を取り戻すまでにそこそこかかったんだけど、ほんと良かったと思えるくらいに前向きになった。この話は、詳細はここでは書かないけど。
改めて言うが「出来る・出来ない」と、その人のパーソナリティは全くの無関係だ。
自信を無くす必要はないし、そうやって言うヒトがいたら、マジで改めた方が良い。
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若干横道に逸れたけど、大切なのは「出来る・出来ない」の相反することを大切に受け入れることに他ならない。
「出来ない」から「自分はダメだ」みたいな結合をするヒトは、「出来ない」ことに向き合っていない証拠でもある。
「出来ない」は、より細分化して、より明確にしていこうとすると、実は結構複雑だったりもする。
例えば、「勉強が出来ない」っていうのはまだまだ曖昧な状態であって、そこから細分化していく。
時間が取れずにいるのか、問題が解けずにいるのか、問題を解こうとはするが他のことをしちゃうのか…
そこを明確にしたら、さらに次のレイヤーに入る。
時間を取れないのはなぜか、何が時間を圧迫しているのか、そもそも取ろうと努力していることはあるのか。
問題が解けないのは教科書内容の理解が出来ていないからか、そもそもどこをやっているのからわからなくなっているのか…。
この行き着く先に、きっと出てくる解決策や対策は、勉強が出来ないこととは少しかけ離れている心がけだったりもする。悩みの種や問題の根幹は、何だろうか…。
その作業をしないで、なんとなく「自分のダメさ加減の影響だ」みたいな着地をしたいだけで、それは「出来ない」からの逃避みたいなもの。
厳しく言うとね。
けど。これをやることが大切なんですよね。
「出来ない」に向き合うことが「出来る」につながる。
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塾にいると、そんな相談は日常茶飯事なわけですが。
結局のところ、上に挙げたようなことに集約される気がしています。いつ何時も。
はるか昔にソクラテスは『無知の知』という言葉を残しました。それも同様かと思います。
先日、スラムダンクの話も少しあげましたが
安西先生は『下手くその上級者への道のりは、己が下手さを知りて一歩目』という言葉を残してます。
あの時を境に、花道が上達するような流れに入るんですよね。それまではなんだかんだ恵まれた身体的才能でやっていた感じもありましたが、あの頃からの花道の目は変わります。
「出来ない」と言う言葉に向き合うこと。それを普段から向き合えるようになりたいですね。
その先にはきっと「出来る」自分が待ってくれているはず。