こんにちは、jinbocchiです。
このブログは、毎日毎日、少しずつでもいいから文章を綴ることで自分のアウトプットの力を伸ばしたい、という自分勝手なブログで、毎朝7時に更新されます。と言いつつ数日、朝には更新されてません、頑張ります。
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さて文を綴ろうと思った矢先、スマホの電池が一瞬で
5%減ったことに驚いてしまった。どうやらバッテリーはあまり強く無くなってきたらしい。
iPhone 8 PLUSのサイズがやや大きくて、それなりにバッテリー持ちはいいなぁと思っていたのは、いまは昔。さっき設定画面から調べたら、『お使いのバッテリーは著しく劣化しています』と出てきました。改めて文字で見ちゃうとショックよね。
2018年の10月頃に買ってから2年半くらい。買い替え時かしら…
そんなこと思ってたら、また5%減りました。この記事は最後までたどり着くのでしょうか。
jinbocchiです。
さて、今日は『絶対解みたいなものは無くて、時代や環境で変わるから、自分自身で考えよう。』というタイトルでお届けします。
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どこかで当たり前のように聞いたことあるかもしれない、このタイトル。多様な人材を求めようとする現代の教育観の中に生きていると、事あるごとに言われるんですよね。
そういう子どもを育てよう、って。
けどワタシたち大人はどうだろうかと思ってしまう。ワタシたち自身が、みんなに答えと言われるような『定説』や『一般論』を大切にしちゃったり、そのレールの上にいることに甘んじてきていたり。
まだまだワタシ世代だって多いはずだからね、
ある意味では、そういう生き方をしてきた大人にはあまり出会えていない。
沢山いるとは思うけどさ、学校や塾だと、それほど多くはないんだろうなぁと思っちゃう。
けど、やっぱり大切なことはそこなんだよね。自分自身で考えることの大切さを経験してきている人の言葉には重みがある。
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Twitterで、こんなことをツイートしている人がいた。
『もう亡くなった親(昭和一桁生まれ)が学生のときに終戦して、それまで学校で教えられてきたことが一転して、自分の教科書を墨で黒く塗ったそうな。』と。
戦争という世界の中で、今の我々には想像しにくいことではありますが、実際にそうだったというのは中々に衝撃的でした。
そして、日本にいるからそう感じるだけで、世界に目を向ければ戦争や紛争なんてのは普通だったりもするし、その観点で考えたら、自分の知らぬ世界のさまざまなことが、実はたーくさん、たーくさんある。
そんな中で、ワタシたちが言われてきたような“当たり前”なんてのは、幻想だったり、誤解だったり、全然実態のないものだよなぁと、感じたりもするのです。
いや、社会的に当たり前ってのは、通念上あるのは知ってますけどね。
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さっきのツイートなんかを、あまり極端に考えずに、すこーしだけ一般化させて考えたらね。
多分、我々が生きている中で苦しむような“当たり前”も、何かをきっかけにしてガラガラ崩れたり、180度変わったりするものだらけなのかもしれません。
それは、どっちが正しいとか。
どの論調が大切だとか。
そういうのは分かりませんが。
確実に言えることは、自分で決めろ!ってのを、あらゆるところで考えないといけないなぁ、ということ。
けど、そのためにはね。知識や教養がある程度あることで、より危険を避けられたり、無駄なプレッシャーを減らせたりします。
そのためにも。
学びは大切にしないといけないのです。
受験もその一端だけどね、そこにこだわりすぎるのも違って、そこを通じた上で可能性を拡げられる。そんな知恵と知識と勇気を、伝えていきたい。
それを体現するかの如く…自分が踏み出さないといけないね。そんな風に今日(こんにち、の方ね)、考えてます。
今日はこんなところで終わりにしようと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
明日が今日より少しでもよくなりますように。