こんにちは、jinbocchiです。
このブログは、毎日毎日、少しずつでもいいから文章を綴ることで自分のアウトプットの力を伸ばしたい、という自分勝手なブログで、毎朝7時に更新されます。と言いつつ数日、朝には更新されてません、頑張ります。
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大人になるって、どういうことかと考えました。
どうやら税金のことやら手当てのことやら、生きていく上で当たり前のことを知らないんだなぁと、自覚したところから大人なのかもしれません。
自立・自律して何かをするには、それらへの理解は避けられません。それらを完全理解するとかは無理でしょうけど生活範囲のことくらいは知っていないとですよね。
まだまだ、大人の階段をのぼる途中のjinbocchiです。
さて、今日は『自分の『わからない』をしっかり言葉に出せるような対話を目指したい。』というタイトルでお届けします。
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学校や塾にいて、学習指導において、とにかく大切なことだと思うのは、自分の『わからない』ということをしっかり言葉に出せることだと思います。
これは、割とふわっとした言い回しになりがちなのですが、結構な核心かと。
塾なんかで感じるのは、まず何よりも『わからない』って言えない子が割といるってことです。
数学が苦手、テストの点が取れない、なんて感じで塾に来てくれたのに、いざ授業となると中々に無言…なんてのも珍しくないんですよね。
多くはないけど、確実に毎年、どの学年にも一定数います。
この場合は、多くが『わからない』という言葉を発してはいけない、発することはペナルティ、というマイナスの印象が強い環境にいたのようなパターンが多い感じがします。
というのも、彼らは往々にして授業中にめっちゃ無口になるんですよね。嘘みたいに喋らない。簡単な応答しかしないし、下手すると頷くくらいで声が出てこない。
けど、雑談や趣味の話を振ったら普通に話せるんです。
この差異があることこそが、結構根深いなぁと感じます。
まずは『わからない』という言葉を発することを、前向きに考えてほしいんですよね。むしろ大切なこととして、堂々と言えるようにする。
もし大人や先生側の方がいれば、そうに促してあげてほしいなぁと。
「なんで、そんなのもわからないの?」と言っちゃう大人に、割と出逢います。この辺りで心の鍵がガチャンってなる感じします。子どもの側(学習者側)が言えないという事実より、言いにくい、言いたくない環境がある。
もっと『わからない』が言える環境を。
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あとは『わからない』とは言えるんだけど、投げやりで中身のない『わからない』になっているパターン。どっちかっと言うと愚痴のような文句のような。
さっきに挙げた場合に比べると、ちゃんと言葉にできているから良さそうなんですけども、これはこれで大変なのです。
というのは、いろんな心理状況にもよるんですけど、多くの場合は『わからない』と言ったら終わりになっているパターン。
『わからない』と言ったところで、質問したり解決したりするモチベーションは無くて、これで終わりになっちゃうやつです。言い方を変えると『わからないと言えばいい』くらいに思ってしまっている。
そうなると、自分で自発的に考えたり、読み込んだりすることをしません。
本来ならば
「〜の…の部分の意味がわかりません。」
「〜はなぜ…をするのか、わかりません。」
という感じで発動されるフレーズですが、もっと単調に『わからない』という言葉だけが先に出ちゃうんですよね。
これは、考えることの放棄です。
最初に挙げた『わからない』が言えない現象に比べると、こっちの方は無自覚に起こることが多く、その場合は学習を深めることは難しいと思います。なにせ、放棄しているから。
危機感を持っている生徒も、初期の頃にこうなることが多いんですね。
たいせつなことは、考えるために『わからない』から一歩踏み込んで進めること。単調には使わないことです。
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こういった対話は、普段から意識して行なってますが、なかなか難しいものです。みんなが、いろんな場面で、いろんな文脈で言われているから、一概にコレという対応は出来ません。
だから、この仕事が面白いってのもあるんすけどね。
この話は、学校とか塾に限らなくて。大人の世界にも十分あることだと思います。
『わからない』をしっかり出せる世界にしよう。